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【アラベスク】  第13章 夢と希望と未来



第2節 進路相談 [3]




 押し黙る。
 苛立ちは相変わらずだ。何か反論したそうにもしている。だが、問いかけるコウの視線を避けるように、顔を横へ向けて黙ってしまった。
 どうしたい?
 その答えが聡には、無い。

「なら、お前はどんな進路を希望するんだ?」

 そう問いかける担任にも、答える事ができなかった。
 親や学校に進路や未来を決められるのは嫌だ。だが聡には、希望する進路も未来も無い。
「明確な希望進路が無いんじゃ、反論のしようが無いな」
 聡に噛みつかれるのを覚悟しながらコウは言った。聡は睨みつけただけで、怒鳴りも反論もしなかった。
 できないからだ。
 コウは頬杖を解いてため息をつく。そうして笑った。
「別に、お前を責めるつもりはないさ」
 弱々しく、どことなく自虐的な、どこか寂しさも漂わせる笑顔だ。
「むしろお前のような生徒がほとんどだと思うからな」
「え?」
「希望進路が不明確なヤツ」
「そうだよね」
 ツバサが頷く。
「だからさ、むしろ進路を決めてくれる学校や親の存在をありがたいって思う生徒も、多いよね」
「ありがたい?」
 今まで黙っていた瑠駆真が、思わず聞き返してしまった。だってそうだろう。勝手に進路を決めてしまう親や学校を、ありがたいと思うなんて。
 不得心顔を向ける瑠駆真に、今度はツバサが笑う。
「唐渓生って、そういうモンだから」
 そうして今度はツバサが頬杖をついた。
「まず理由一つ目」
 言って、ピンッと人差し指を立てる。
「ウチの学校に通う生徒って、小さい頃から親にあれこれ指示されて育ってきた子が多いでしょう?」
 親の仕事を見せられ、世間との付き合いを見せられ、自分より恵まれない人間の無様さを見せられ―――
「尊敬や羨望を集める親の姿にはやっぱりそれなりに憧れるし、一方で自分より下だと見下している存在に自分が転落する事を怖いとも思っている。今の生活を維持したい。今の立場や優位を保っていたい。それにはどうすればいいのか?」
「親の言いなりになる、か」
「一番簡単で、間違いがないもの」
「そっちの方が無様に見えるがな」
 聡は鞄からペットボトルを取り出し、ゴクリと飲み込む。
 暖房設備などない駅舎の中は冷える。扉を閉めて外気を遮断しても冷気は感じる。だが聡はむしろ熱いと感じた。
 胸の奥から、熱気が湧き上がる。
「人形みたいなもんだな」
「意志がないワケじゃないと思うの。唐渓に通う子の中には、親の意志には反した希望を持っている子だっている。だけど、怖いんだと思う」
「怖い?」
「うん。親の敷く線路から外れて飛び出して、そうして失敗してしまったら、自分はどうなるんだろうってね」
「今まで上から見下す立場にあった自分が、もし見下される立場に堕ちてしまったら」
「遠慮もなく見下していた分、逆の立場を想像すると、とても勇気なんて出ないんだと思うな」
「中には、小学生の時にいろいろと悩んだヤツもいるみたいだし」
「小学生の時?」
「そ。ウチって小等部とか付属の小学校はないだろう? 普通の公立とかだと、中学受験を考えてる生徒ってやっぱ色眼鏡で見られるワケよ。私立の小学校だと、付属の中学じゃなくって唐渓を目指しているってだけで逆に対抗意識持たれちゃったりしてさ。受験が関係なくっても、家が金持ちってだけでいじめられたり、他諸々(もろもろ)さ」
 聡の脳裏に、同級生の顔が浮かんだ。小学生の時に眼球にマジックで悪戯(いたずら)をされた少年。彼は、唐渓の外を信用してはいない。
「小学生くらいの時に抱えた悩みってね、案外ズルズルと引き摺ってる子も多いんじゃないかな。それがネックになって、いまさら外に出られなくなる」
「何も怖い思いをしてこなくって、無鉄砲に唐渓を飛び出す奴もいるけどさ」
 風が吹き、窓ガラスがカタカタと鳴った。落ち葉が舞う。一枚がガラスにへばりつき、しばらく耐えていたが結局は風に飛ばされた。
「それに何より、反論する為の材料が無い」
「材料?」
 聞き返す聡を、コウがピッと右の人差し指で指す。
「お前と一緒」
「は?」
「明確な進路が無い」
 聡の手が、中途半端に止まった。手に持ったペットボトルを口へ持っていく事もできず、逆に机の上へ置く事もしない。
「理由の二つ目。こちらに、確固たる言い分やキッチリとした希望が無ければ、結局は決められた進路に従うしかない」
 ようやく聡はボトルを口に付けた。ゴクリと喉を鳴らす。だが、味なんて全然わからない。甘いのか、酸っぱいのか。
 明確な進路。確固たる言い分。
「進路ってさ、つまりは自分の人生をどう進むかって事でしょう? でもそれを今すぐに自分で決めるのって、すごく大変じゃない? なんか荷が重いなぁって言うか」
「小さい頃にはさ、あれになりたいとか、これになりたいとかって夢を持った事はあるかもしれないけど、高校生にでもなれば、いい加減に夢で生きていけるほど世の中は甘くないって現実もわかっちゃってるしさ」
「無謀に夢を追いかけて失敗したらさ、今の自分たちが見下して馬鹿にしている身分に、今度は自分が堕ちてしまうかもしれない」
「そう考えると、自分の意見を下手に押し通すのも怖い」
「何より、夢は所詮は夢であって、叶えたいと思うほどの情熱を抱えているわけではない」
「漠然と幼い夢なら無い事もないが、叶えたいと思えるほどの夢は無い。主張できるほどの意見も無い。望む希望も無い」
「となると、進みたいと思える進路も無い」
 息の合ったコンビネーション。他の三人は全く口出しができない。
「でも人生は進まなければならない。あと一年と少しで、自分の進路を決定しなければならない」
「そんな短時間で決めるなんて、できるか?」
「しかも、ここで選択を間違えたら、この先の人生でとんでもない不幸を背負う事になるかもしれない」
「人生を成功するか、失敗するか。それは今の自分の選択にかかっている」
「でも、そんな重荷、できるなら背負いたくない。そしてできるなら、失敗するような人生も選びたくない。ましてや、人生を失敗して他人に嘲け笑われたり後ろ指を刺されるのも御免だ」
「じゃあ、どうすればいい?」
 交互に話すコウとツバサが、ピタリと口を閉じた。代わりに開いたのは、瑠駆真。
「誰かに決めてもらえばいい」

「なら、お前はどんな進路を希望するんだ?」

 その問いかけに、答える事のできなかった自分。
 学校の決めた大学へ進学するなんて嫌だ。母親の言い分に副うなんて癪だ。
 だがそれらと対抗するための材料が、聡には無い。
「自分で進路が決められない子にとって、決めてくれる学校や親の存在はむしろありがたいものなのよ」
 馬鹿馬鹿しい。
 胸の内で吐き捨てながら、だが聡はその言葉を口にする事ができなかった。



 聡の言い分はわかる。
 美鶴は、視線は教科書へ落としたままだった。だが耳はしっかりと会話に参加していた。
 またうるさいのが一人増えた。
 不機嫌そうに腰を下ろす聡の姿にそうウンザリし、会話には参加すまいと心に決めていた。だが、進路という言葉に、思わず耳を傾けてしまった。







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